となりのたしまさん。

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世界一へたくそな世界実況

【世界一わかりやすい!】イスラム大国「インドネシア」の戦後史と大統領について。

 

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インドネシアの大きな転機は1602年にオランダがジャワに「東インド会社」を設立したことから始まります。

オランダは、この東インド会社を通じて香料、コーヒー、ゴムなどの輸出を独占し、大規模な植民地運営で莫大な富を築きました。

 ・オランダ東インド会社

1602年、オランダが東南アジアの香料貿易を目的に設立した東インド貿易の独占会社。大商人の共同出資で設立。ジャワ島のバタビア(ジャカルタ)に政庁を置き、貿易ばかりでなくインドネシアの植民地化の重要機関でもあった。1799年解散。

※大辞林第三版

 

 第二次世界大戦の最中、1942年に日本軍がインドネシアに侵攻したことによって、およそ300年を超える長いオランダの植民地支配が終わりました。オランダの撤退により、捕らわれていた民主主義運動の指導者スカルノやハッタなどが解放され、国民に民族意識と政治意識が開花していきました。

オランダの次にインドネシアを占領した日本ですが、1945年の敗戦で日本も撤退し、スカルノをはじめとする民族主義者がインドネシアの独立を宣言しました。

ここで初めて、「建国の父」と呼ばれるインドネシア初代大統領スカルノが誕生します。

その後、再植民地化を目指すオランダとの独立戦争が起こりましたが、独立を目指すスカルノたちの戦意の高さと残留日本軍の協力もあり、オランダ軍を苦しめました。

4年の歳月を経て1949年。オランダは植民地化をあきらめ、インドネシアの独立を正式に承認し、「インドネシア共和国」が誕生しました。

 

初代大統領「スカルノ」

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※Wikipediaより引用

インドネシアを独立に導き、「インドネシア共和国」を建国したことから

スカルノは、「建国の父」「独立の父」と今もなお呼ばれています。

スカルノは副大統領のハッタとともに、「ナサコム(NASAKOM)」と呼ばれる支配体制を強化していきました。

ナサコムとはインドネシア語の「ナショナリズム(Nasionalisme)」「宗教(Agama)」「共産主義(Komunisme)」から造られた言葉であり、この3つを基盤としてスカルノ政権は戦後のインドネシアを統治していきました。

しかし、1965年の9月30日事件で失脚し、約4半世紀にわたったスカルノ政権は幕を閉じました。

 ・9月30日事件

1965年9月30日インドネシアに起こったインドネシア共産党率いる革命評議会の軍隊によるクーデタ未遂事件。スカルノ大統領親衛隊ウントン中佐らは軍部の反革命派一掃を唱え,ヤニ陸軍司令官ら6名の将軍を殺害したが,スハルト将軍ら軍部に鎮圧された。軍部は進んで大規模な反攻に転じ,共産党員はじめ中国系住民を含む数十万の大量虐殺となり,ナサコム体制の崩壊,スカルノ失脚の契機となった。

※百科事典マイペディア

 

第2代大統領「スハルト」

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※Wikipediaより引用

スカルノに代わり大統領となった「スハルト」はインドネシアの経済を強力に発展させました。このことから「開発の父」と呼ばれています。

工業化政策を推し進め、経済成長のためならばなんでもするといったこの政治体制は「開発独裁」と呼ばれています。

インドネシアのスピード感ある経済成長をもたらしたのはこのスハルトの体制だったとも言われてます。

しかし、汚職の蔓延、独立運動や民主化運動を弾圧したことから国民の不満が高まり、

1990年代後半に発生したアジア通貨危機による経済悪化に対応できず、辞任に追い込まれました。

スハルトは1968年から98年まで30年間、長期政権を築きました。

 ・アジア通貨危機

1997年にタイから始まり,アジア各国に広がった急激な通貨下落とそれによって起こった金融危機・経済危機をさす。なかでもタイ,インドネシア,韓国はきわめて大きな打撃を受けた。

※百科事典マイペディア

 

※スハルト以降の大統領

第3代ハビヒ大統領(1998年~1999年)

スハルト政権時の副大統領。

第4代ワヒド大統領(1999年~2001年)

高名な宗教指導者。

第5代メガワティ大統領(2001年~2004年)

インドネシア初の女性大統領。スカルノの娘。

第6代ユドヨノ大統領(2004年~2014年)

インドネシア初の国民直接投票によって選ばれた大統領。

2014年、任期満了により退任。

 

第7代大統領「ジョコ・ウィドド」

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※Wikipediaより引用

インドネシアの現在の大統領で、「ジョコウィ」という愛称で呼ばれています。(2020年時点)

ジョコ大統領は、1961年、中部ジャワ州のスラカルタ(ソロ)市に生まれました。

ジョコ大統領は貧しい家庭で生まれ、苦しい生活を経験し、幼いころから行政への不信があったと言われています。大学を卒業後、木工業会社に就職しましたがすぐに退職しています。

 人生の転機は2005年のスラカルタ市長選に闘争民主党の候補として参戦し、市長に選ばれたことから始まります。その後、ジャカルタ特別州の知事にも就任しました。

ジョコ大統領は市長・知事の時代、自ら現場視察を行い、市民との対話を重ねる「現場主義」を貫いていました。この姿勢から「庶民派」と呼ばれています。

その後、2014年の大統領選で、53歳の若さで大統領に就任しました。

今までの大統領が軍人やエリートだったのに対し、一般家庭から這い上がった初の大統領です。

この大統領選では、ジョコ大統領の

現場主義で国民に直接話しを聞くこと、

汚職を許さない誠実さが

国民の心をつかんだ言われています。

アメリカで黒人初の大統領となったバラク・オバマ氏と似たような境遇で大統領になったことからよく比較されることが多いとのこと。

 

スカルノ大統領、スハルト大統領とはまた違うカリスマ性を持つジョコ大統領。

この多様性の国「インドネシア」にあるインフラの未整備、貧困問題などのさまざまな課題に対してどう乗りこえていくのか、その政治手腕が試されています。