「100の議論より1の戦じゃ」
「一度権力を与えられたものはその力を手放さない」
「徳川はそんなお人よしじゃない」
「大政奉還なんて奇跡が起こらない限り無理だろう」
【大政奉還への道①~⑧】にわたり、
幕末に起きた出来事を紹介し、大政奉還までの道のりをみてきた。
今回がその一連の最終章である。
結論から言うと、
みなさんご存知の通り、
慶応3年(1867年)10月14日、第15代将軍徳川慶喜は朝廷に政権を返上した。
江戸幕府が終わり、明治維新へとつながり、武士の世が終わった。
では、最後のストーリーをご覧いただきたい。
「薩土盟約」
慶応3年(1867年)5月、中岡慎太郎は京にいた。以前、龍馬とともに薩長同盟のために奮闘した中岡である。中岡も龍馬と同じ徳川の世を終わらせ、新しい日本を作ることを目指していた。
しかし、1つだけ龍馬とは異なるところがあった。
武力倒幕である。
四候会議が散々な結果で終わったことを知り、公儀(話し合い)により幕府を変えることは不可能だと悟った。
5月21日、中岡は同じく武力倒幕の志を持つ乾退助(のちの板垣退助)らとともに薩摩藩の実力者西郷隆盛らと会談。薩土密約を締結する。これは暴力革命により徳川の世を終わらせ、新しい日本を建設するという武力倒幕のための軍事同盟である。
6月22日、中岡は京に来た後藤、龍馬とともにまた西郷隆盛らと会談。
大政奉還を目指す土佐と武力倒幕を目指す薩摩。相反する考えを持つ二藩の会談であった。
結果、この会談で薩摩は土佐が唱える武力倒幕を原則回避し、大政奉還をさせることを受け入れる。薩土盟約が結ばれる。
なぜ、武力倒幕を目指す薩摩が平和的解決"大政奉還"を受け入れたかと言うと、それは大義名分を得るためである。徳川が大政奉還を拒否することを見越して、「徳川が受け入れに応じなければ、戦をしかける理由を正当化できる。しかも容堂率いる土佐藩を戦に引きこむことができるじゃん」と考えたのだろう。
この薩土盟約は表向きは平和路線だが、しっかり薩摩の思惑もはいった複雑な同盟であった。後藤や龍馬もそれに気づかないわけがない。大政奉還が失敗すれば土佐も武力倒幕に加わることになる。なんとしても幕府に大政奉還をさせる必要があった。
いざ、大政奉還へ
【土佐藩】
土佐に戻った後藤は山内容堂に大政奉還論を進言。
以前も述べた通り、山内家は佐幕の心がある。徳川幕府に対し感謝の念はあるが、もはや時代は倒幕に傾いていると認識していたため、大政奉還論を土佐の藩論とし、慶喜に向けて大政奉還建白書を書いた。
※ただ、容堂は土佐から徳川に兵をむけることには反対だったため、これが原因により薩摩の思惑が混じった薩土盟約はのちに解消される。
※幕末・維新期/「土佐藩大政奉還建白書写」より画像引用
【薩摩藩】
土佐が兵を出さないと知った薩摩は薩土盟約を解消。実行に移されることはなくこの盟約は終わった。
薩摩は9月6日のうちに京に1000を超える兵を配置。続いて9月19日に長州藩、芸州藩と出兵協定を結ぶ。武力倒幕に向けて着々と布石を打っていた。
【幕府】
10月3日、土佐藩後藤象二郎は「大政奉還建白書」を老中板倉勝静に提出。
後藤は慶喜から信任の厚い板倉であれば慶喜を説得できると考えたのであろう。
10月13日、慶喜は
「政権を帝に返し、幕府を終わらせるべきか」
在京している10万石以上の大名(40藩の重臣)を二条城に集め、大政奉還について諮問した。
※Wikipediaより画像引用
「今は余儀なき次第なり。然か(そのように)思し召さるる上は決行せらるる方よろしからん」
慶喜は板倉、若年寄永井尚志と検討し、
10月14日、ついに朝廷へ大政奉還上表を提出。
一夜明けた10月15日、朝廷は慶喜に大政奉還勅許の沙汰書(許可書)を与える。
大政奉還がここで成立したのである。
後藤象二郎は
「未曾有のご英断、真に感服に堪えず」
と、自ら政権を返上した慶喜の勇気をたたえた。
また坂本龍馬も
「将軍家今日のご心中さこそと察し奉る、よくも断じ給えるものかな」
と、涙を流してその勇気をたたえた。
まとめ
慶応3年10月15日をもって、265年間続いた江戸幕府が終わりを告げた。
「桜田門外の変」「八月十八日の政変」「薩長同盟」「長州征討」
黒船来航から始まり幕末にはたくさんの出来事が起きた。
「異国に侵略されるかもしれない」
「幕府に任せて日本は本当に安心か」
「雄藩が立ち上がるべきではないか」
幕末に生きる人たちの考えも多様になっていった。
黒船が来航した14年後に大政奉還が成立。
私の個人的な気持ちにはなるが、この「14年間」はそれ以前に起きたさまざまな出来事と比べてもかなり濃い時間であったと思う。
すべての出来事が繋がりあって、人々の考えを変え、大政奉還を生んだ。
私は①~⑨まで重要な出来事に視点をあて、まとめたが、まだまだたくさんのドラマがあるはずである。
戦争ではなく、平和的解決手段で時の権力者がその座を降りた。
これは世界史上でも驚愕の出来事。
それが大政奉還である。
そして大事なことがもう一つ。
この時代を生きた人々が
「佐幕派」「倒幕派」「攘夷派」「開国派」
考えは違えど、志は違えど、
だれもが日本のことを思い行動したこと。
これは今を生きる日本人として実に誇らしいことである。
今までご覧いただきありがとうございました!
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