僕が死のうと思ったのは
ダイレクトかつ衝撃的な曲名です。
この歌をまだ聴いたことがない人からすると、
ダークだなとか、
ネガティブだなとか、
どちらかというと、マイナスな気持ちをイメージするかもしれません。
ただ、
記事のタイトルにも書いた通り、
生きることを知る歌、です。
歌詞に込められた想いを自分なりに考え、紹介していきます。
そして、もし、
今、何かに悩んでいる人、
耐えている人、
死にたいと思っている人、
がいたら、
ぜひ、この記事を読んでいただきたいです。
そして、ぜひ、歌を聴いていただけると幸いです。
ちなみに、歌についてレビューするのは、今回が3回目になります。
過去2回の下の記事をご覧ください!どれもとても素敵な曲です。
第一弾↓↓↓
第二弾↓↓↓
では、早速、
秋田ひろむさん作詞&作曲「僕が死のうと思ったのは」の
歌詞を見ていきましょう。
生きることを知る歌「僕が死のうと思ったのは」について考えてみた
※以下の歌詞のレビューについては、私の主観的な意見・気持ちで解釈しています。
1番Aメロ
僕が死のうと思ったのは ウミネコが桟橋で鳴いたから
波の随意に浮かんで消える 過去も啄んで飛んでいけ
僕が死のうと思ったのは 誕生日に杏の花が咲いたから
その木漏れ日でうたた寝したら 虫の死骸と土になれるかな
2番Aメロ
僕が死のうと思ったのは 靴紐が解けたから
結びなおすのは苦手なんだよ 人との繋がりもまた然り
僕が死のうと思ったのは 少年が僕を見つめていたから
ベッドの上で土下座してるよ あの日の僕にごめんなさいと
私は、今まで人生を生きてきて、「死のう」と考えたことは一度もないので、
その気持ちに至った人の気持ちを分かった気で解釈するのもおこがましいですが、
「死のう」「死にたい」と、そういう気持ちになっている人にとっては、
平常であれば何とも思わないこと、
他の人から見れば些細なことも、
「重いな」と感じ、死を連想してしまう。
「靴ひもがほどけたら、すぐに結びなおせばいいじゃん!」と思いますが、
大変なことなんだと思います。
そして、2番Aメロの最後。
少年の頃の過去の自分。
あの頃は無邪気で、夢もあって、「~になりたい!」「~したい」と将来に対して明るい希望を持っていた。
でも、今は死のうと思っている。そんな状態の自分になっている。
素敵な将来を想像していた過去の自分に対して、叶えられない状態の自分になってしまっていることの申し訳ない気持ちが伝わります。
1番Bメロ
薄荷飴 漁港の灯台 錆びたアーチ橋 捨てた自転車
木造の駅のストーブの前で どこにも旅立てない心
今日はまるで昨日みたいだ 明日を変えるなら今日を変えなきゃ
分かってる 分かってる けれど
薄荷飴、漁港の灯台、錆びたアーチ橋、捨てた自転車
全部が寂しさを感じる言葉。
「自分を変えるには、行動しないと!」
そんなことは分かってるんです。
Aメロで書かれていた通り、
些細なことが重く、嫌に感じる。何かをしようにも無気力な状態。
変わらなければいけないことは十分に分かってる、理解している、
けれど、、、
この最後の「けれど」。
たった3文字にもどかしい気持ちが込められている気がします。
1番サビ
僕が死のうと思ったのは 心が空っぽになったから
満たされないと泣いているのは きっと満たされたいと願うから
人生でも一度も満たされた経験がない人は、
満たされないと感じることはないと思います。
家族から、友人から、恋人から、
嬉しい、楽しい、幸せだと感じることをしてもらった。
又、自分の趣味や好きなことに没頭することができ、充実しているなと感じた。
一回でもそんな経験をしたことがある、満たされたことがあるからこそ、
「あ、今の自分は満たされてないな」と満たされてたときの自分と比較することができる。
表裏一体。
歌詞の通り、
「満たされない」と感じるのは、
「またあの時の気持ちを味わいたい!体感したい!」
「満たされたい」という願いがあるからだと思います。
2番Bメロ
パソコンの薄明かり 上階の部屋の生活音
インターフォンのチャイムの音 耳を塞ぐ鳥かごの少年
見えない敵と戦ってる 六畳一間のドンキホーテ
ゴールはどうせ醜いものさ
していたことをしなくなり、
できていたことができなくなり、
明るい人、活発な人、普通に生活している人ですら妬ましく思い、自分を卑下してしまう。
他の人からは見えない自分の頭の中で、良くないと自分でも思っていても、いろいろと考えてしまうんだと思います。
2番サビ
僕が死のうと思ったのは 冷たい人と言われたから
愛されたいと泣いているのは 人の温もりを知ってしまったから
1番サビと同じです。
人生で一度でも愛されたことがあるからこそ、
また愛されたいと願う。
3番サビ
僕が死のうと思ったのは あなたが奇麗に笑うから
死ぬことばかり考えてしまうのは きっと生きる事に真面目すぎるから
作詞&作曲の秋田ひろむさんは、よくこんな共感できる言葉が思いつくなと思いました。すごいです。
適当に生きていない。
人に優しくできる。
何事も丁寧に大切に考えることができる。又、行動することができる。
感受性が高いばかりに、深刻に考えたり、自責の念が生まれたりする。
又、優しさ上に、自分の気持ちを人に言えず、自分の中だけに留めようとする。
素晴らしい人だと思います。
もし、「死のう」「死にたい」と思っている人がこの記事を読んでくださっているなら、もう一度言います。
あなたは素晴らしい人です。
僕が死のうと思ったのは まだあなたに出会ってなかったから
あなたのような人が生まれた 世界を少し好きになったよあなたのような人が生きてる 世界に少し期待するよ
最後に、ちょっと希望が出てきました。
この歌詞の「僕」はきっと
「ちょっと生きてみようかな」と思ったはず。
自分自身が感じなくても、
家族、友人、恋人、病院の先生など自分のことを思ってくれている人がいると思います。
又、人に限らず、
YouTubeを見る、漫画を読む、お菓子を食べる、といったように
ちょっとの気力でできる小さな楽しみも世界にあふれています。
「ちょっと生きてみようかな」
生き続けると、
意外に楽しいこと、面白いことが待っているかもしれません。
死にたいと思い生きたいと願う人にぜひ聴いてほしい
秋田ひろむさんの言葉の力。
この歌を聴いて、自分の心の中を代弁してくれてるなと思う人もいるのではないでようか。
少しでも共感できることがあれば、自分だけじゃない気がして、安心しますよね。
死ぬことばかり考えてしまうのは きっと生きる事に真面目すぎるから
頑張って生きてないと、「死のう」なんて思わないと改めて思いました。
生きる、生き抜くって難しいですよね。いや、ほんとに。
私も小さな楽しみを大事にして、一日一日を生きていきます。
僕が死のうと思ったのは
amazarashiさん↓↓↓
中島美嘉さん↓↓↓
【歌詞】
僕が死のうと思ったのは ウミネコが桟橋で鳴いたから
波の随意に浮かんで消える 過去も啄んで飛んでいけ
僕が死のうと思ったのは 誕生日に杏の花が咲いたから
その木漏れ日でうたた寝したら 虫の死骸と土になれるかな
薄荷飴 漁港の灯台 錆びたアーチ橋 捨てた自転車
木造の駅のストーブの前で どこにも旅立てない心
今日はまるで昨日みたいだ 明日を変えるなら今日を変えなきゃ
分かってる 分かってる けれど
僕が死のうと思ったのは 心が空っぽになったから
満たされないと泣いているのは きっと満たされたいと願うから
僕が死のうと思ったのは 靴紐が解けたから
結びなおすのは苦手なんだよ 人との繋がりもまた然り
僕が死のうと思ったのは 少年が僕を見つめていたから
ベッドの上で土下座してるよ あの日の僕にごめんなさいと
パソコンの薄明かり 上階の部屋の生活音
インターフォンのチャイムの音 耳を塞ぐ鳥かごの少年
見えない敵と戦ってる 六畳一間のドンキホーテ
ゴールはどうせ醜いものさ
僕が死のうと思ったのは 冷たい人と言われたから
愛されたいと泣いているのは 人の温もりを知ってしまったから
僕が死のうと思ったのは あなたが奇麗に笑うから
死ぬことばかり考えてしまうのは きっと生きる事に真面目すぎるから
僕が死のうと思ったのは まだあなたに出会ってなかったから
あなたのような人が生まれた 世界を少し好きになったよ
あなたのような人が生きてる 世界に少し期待するよ