となりのたしまさん。

日本人なのに日本語を勉強中。20代青年による日本紹介サイト。外国人に「日本のすばらしさ」を伝えるべく「日本」ついてはもちろん、海外の情報もたくさんアップしていきます。「少子高齢化」がすすんでいる日本。外国からの労働力がますます必要になってきています。外国の方々に「日本を好きになってもらえるように」。そんなことを意識して、ぼちぼち更新していきます。今年の目標も、「変わらないこと」。そのために「変わり続けること」。みなさん楽しみましょう、今回の人生。

となりのたしまさん。

5年ぶりに心に残る思い出の地へ【インドネシアの旅:モジョクルト③】

今回の旅のメインとなる目的は

5年前に働いていた高校に行き、

当時お世話になった先生方と会うことです。

いきなり行って変質者に思われないよう事前に先生方に連絡はしていました。

校長先生の許可もしっかりともらいました。

 

4年前にもインドネシアに行く予定を立て、航空券も予約したのですが、

ちょうどコロナが蔓延してきた頃で、インドネシア政府が渡航制限を出したことにより、

インドネシア旅行をキャンセルした経験があります。

 

それから長い年月を経て、今回ついに戻ることができました。

せっかくの機会。せっかくの時間。

有意義な時間となるよう行動していきます。

 

それでは、モジョクルトでの旅の続きです。

 

 

久しぶりのモジョクルトで迎える朝。

昨晩は遅くに寝ましたが、

意外に疲れは感じず、起きることができました。

 

顔を洗い、外に出る。

 

本日も晴天なり。

 

軽くストレッチをして、体をほぐす。

インドネシアに来てからぜんぜん運動していない。

甘い物と辛い物しか食べていない。

今、健康診断をしたならば、コレステロール値は絶対に高い。

もう一度部屋に戻り、水筒を手に取り、

一階のロビーにあるウォーターサーバーに水を汲みに行く。

急な階段を下りて、ロビーへ。

本当に急な階段。

ただ、過去に一度もここでつまずいたり、こけたことはない。

(どうでもいい情報共有)

 

「せんせーーーい」

階段を降りると同時に声が聞こえてくる。

ホテルスタッフのKさんとNさんである。

Kさんはホテルのボス的ポジションの女性で、年齢不詳だが、おそらく40代後半くらい。

小柄な体格ながらパワフルな女性である。

Nさんは、おそらく5年前に自分がやってきたのと同じぐらいから働き始めた女性で、

KさんやSさんと比べてまだ日が浅い。

ブラウンロングヘアーがよく似合う綺麗な女性である。

 

2人とも人妻である。

 

「二人にまた会えて嬉しいです」

「なんで嬉しいの?」

「え?」

「なんで私たちに会えて嬉しいの?」

Kさんがニヤニヤしなが言う。

水筒を片手に、昨日のSさんのとき同様、雑談が始まる。

雑談というよりかは、一方的に質問攻めに合う。

いじられにいじられる。

 

思い出話は楽しいが、女性、恋愛関係の話は長くなってしまう。

「あのー、そろそろ朝ごはん食べてもいいでしょうか」

「ダメダメ、まだ話しが終わってないよ」

たしまが客だということを忘れている。

そこから数分後、ウォーターサーバーで水をくみ、2階の部屋に戻る。

 

部屋の前にある椅子に腰を掛け、中庭を見ながら、朝食を食べる。

「良い朝だ」

中庭には、植物が植えられており、葉の上に昨日の雨の雫が乗っている。

2階から見ると、それがキラキラと輝いて見える。

 

今、10時。

高校には、11時に行くと伝えてある。

「準備するか」

部屋の中に入り、身支度をする。

ホテルから高校まで車で7分ぐらいである。

5年前に働いていたときはいつも高校の事務員のIさんが送り迎えをしてくれていた。

Iさんは、今、高校ではなく、別の場所で仕事しているらしい。

今回は、

「ホテルまで車で迎えに行くよ!」

と高校の副校長のP先生が言ってくれたが、

私はゲストではないので、その善意に甘えるわけにはいかないと

「自分で行くので、大丈夫です!」と丁重に断った。

 

10時半頃に一階ロビーに降りる。

今回の旅で非常にお世話になっている配車アプリグラブでタクシーを予約。

「先生、どこに行くの?」

Kさんが受付から大きな声で話しかける。

「ちょっと高校に行ってきます」

「どこの高校?」

「タマンシスワです」

「迎えに来るの?」

「いや、グラブで行きます」

親子のやりとりのようだ。

 

時間通りにグラブが来てくれて、

いざ、高校へ。

 

懐かしい通勤経路を車の中から見る。

 

5年前に働いていた高校は二校で、

そのうち、一校は国立高校、もう一校は私立高校です。

これから向かうのは、私立高校(タマンシスワ高校)の方です。

二校ともそれぞれの特色があり、先生や生徒の感じも違って、面白かったです。

 

校門前に車が止まる。

車のドアを開け、外に出る。

久しぶりの高校。外観はあまり変わっていない。

タマンシスワの生徒が高校近くの屋台でご飯を買っている。

タマンシスワの生徒の制服の色は白色なので、すぐにわかった。

 

「Mas!どうしたの?」

警備員さんから止められる。

「タマンシスワの先生たちに会いにきました。P先生にはすでに連絡しています」

P先生とは事前にメールでやりとりしていた副校長である。

「ちょっと待ってね」

 

1分くらい校門前でじっとしていると女性が近づいてきた。

A先生だ。

「先生、久しぶり」

「お久しぶりです」

「P先生は、今会議中なのよ。さぁ、職員室へ行きましょう」

 

ちょっと緊張する。

 

職員室に入ると、知っている顔がいくつかあった。

P先生(女性の)、Y先生、N先生、、、

名前も憶えている。人の名前を覚えるのは得意な方だ。

自分のこと、日本のこと、根掘り葉掘り聞かれ、

なぜか汗が出る。

頭をフル回転して、インドネシア語を出す。

タマンシスワ高校の話題に移る。

「半分くらい先生たちは変わったかな」

P先生が言う。

どうやら、5年前に在籍していた先生たちの50%は退職、転職、また別の職場に移動したらしい。

残りの50%の先生たちはまだ働いている。

 

「先生、お久しぶりです!」

大きな声で日本語が聞こえてきた。笑顔でスマートな男性が職員室に入ってくる。

A先生だ。

A先生は自分と同い年の男性で、

5年前はいっしょにご飯を食べたり、旅行に行ったりととてもお世話になった。

5年前のお正月もAさんとAさんの友人たちと一緒に花火を見た。

5年前は新米先生感があったが、今は威厳を感じる先生になっている。

ただ、自分に対してとりあえず知っている日本語を使って話そうという少しわんぱくな姿勢は変わっていない。

 

昼時ということもあり、ミーアヤムをいただいた。

自分が好きなインドネシア料理を覚えてくれたようだ。有難い。

 

今、学校は試験期間中ということで、授業はない様子。

試験監督をしていた先生が次々に職員室に入ってくる。

懐かしい顔ぶれが次々に出現する。

ミーアヤムをもぐもぐ→

顔見知りの先生が来る→

席を立つ→

握手をする→

久しぶりですと言う→

やせた?と言われる。

この動きを何十回も繰り返す。

また、5年の間にタマンシスワ高校に新しくきた先生方にも挨拶をする。

 

「久しぶりに学校見てまわる?」

ミーアヤムを食べた後は、Aさんといっしょに、学校内をまわることに。

縦に長い緑の校舎。

懐かしい教室。

生徒たちが試験を受けている。

知っている生徒はもういないけど、教室の様子は変わっていない。

 

「懐かしいですか」

Aさんが言う。

「はい。とても。」

再び昔いた場所に来られて嬉しい気持ちもあり、

ちょっと寂しい気持ちもあり。

変な気持ち。

時が過ぎるということはこういうことか。

 

一通り学校内をまわった後は、

会議が終わったということで、

P先生と会長(5年前はタマンシスワ高校の校長)と応接室で少しお話しを。

会長は物静かな人物だが、外見から優しく穏やかな人物だということがすぐに分かる。

P先生は副校長兼英語の授業担当の先生である。日本語は話せないが、5年前はいつも自分のことを気にかけてくれていた。

 

10分ほど話し、職員室に戻る。

 

「また2日後にちょっと顔出します」

職員室にいる先生方にも挨拶をし、学校を出る。

一番お世話になった日本語教師の先生が本日不在ということで、

2日後にまた学校で会うことになっていた。

 

学校を出た後は、ホテルに直帰せず、サンライズモールへ。

タマンシスワ高校のG先生といっしょに行くことに。

G先生は40代の男の先生で、何に対しても好奇心旺盛な先生である。

最近ハマっていることはティックトックらしい。

G先生のバイクの後ろに跨り、出発。

空はちょっと曇ってきた。

高校からモールまではバイクで5分もかからない距離。

 

5年前も食料や日用品はこのモールで買っていた。

映画館や飲食店もあり、休日はよくここで過ごしていた。

 

今回は、バティックを買いにやってきた。

いくつかのお店を回り、気に入ったのがあったので、一着購入。

 

その後は、モール1階にあるカフェで

甘い食べ物を食べ、甘い飲み物を飲む。

G先生と小一時間ゆっくりした後、

空が曇ってきたので、ホテルへ戻ることに。

ホテルまではG先生が送ってくれて、「また2日後!」と握手を交わす。

雨がだんだん激しくなる。

 

「たくさんの親切で、自分は生活できていたんだな」

久しぶりの学校訪問は、やはり懐かしい気持ちにさせてくれて、

多くのインドネシア人にサポートされて、過ごせていたんだなと改めて感謝の念が生まれる。

 

それから、

5年という歳月について。

以前はいた人がいなかったり、

以前はあったものがなかったりと

不変なものはなかった。

変わっていくというのは

嬉しさもあり、寂しさもある。

 

「awal kan berakhir」

(始まるということは、終わるということ)

インドネシアのとある女性アーティストが歌う曲の歌詞のある一部を思い出した。

 

続きはこちら↓↓↓

 

こちらの記事もおすすめです↓↓↓